2012年6月16日土曜日

東電の「想定外」と、詩人の観察力


「遅い」と叱られそうですが、心底びっくりしました。今朝の毎日新聞で知ったのですが、福島県南相馬市在住の詩人若松丈太郎さん(75)が1994年に発表した『神隠しされた街』と題する詩です。18年前に3.11を「予言」しています。

神隠しされた街   若松丈太郎


四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた
サッカーゲームが終わって競技場から立ち去ったのではない
人びとの暮らしがひとつの都市からそっくり消えたのだ
ラジオで避難警報があって
「三日分の食料を準備してください」
多くの人は三日たてば帰れると思って
ちいさな手提げ袋をもって
なかには仔猫だけを抱いた老婆も
入院加療中の病人も
千百台のバスに乗って
四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた
鬼ごっこする子どもたちの歓声が
隣人との垣根ごしのあいさつが
郵便配達夫の自転車のベル音が
ボルシチを煮るにおいが
家々の窓の夜のあかりが
人びとの暮らしが
地図のうえからプリピャチ市が消えた
チェルノブイリ事故発生四十時間後のことである
千百台のバスに乗って
プリピャチ市民が二時間のあいだにちりぢりに
近隣三村あわせて四万九千人が消えた
四万九千人といえば
私の住む原町市の人口にひとしい
さらに
原子力発電所中心半径三〇㎞ゾーンは危険地帯とされ
十一日目の五月六日から三日のあいだに九万二千人が
あわせて約十五万人
人びとは一〇〇㎞や一五〇㎞先の農村にちりぢりに消えた
半径三〇㎞ゾーンといえば
東京電力福島原子力発電所を中心に据えると
双葉町 大熊町
富岡町 楢葉町
浪江町 広野町
川内村 都路村 葛尾村
小高町 いわき市北部
そして私の住む原町市がふくまれる
こちらもあわせて約十五万人
私たちが消えるべき先はどこか
私たちはどこに姿を消せばいいのか
事故六年のちに避難命令が出た村さえもある
事故八年のちの旧プリピャチ市に
私たちは入った
亀裂がはいったペーヴメントの
亀裂をひろげて雑草がたけだけしい
ツバメが飛んでいる
ハトが胸をふくらませている
チョウが草花に羽をやすめている
ハエがおちつきなく動いている
蚊柱が回転している
街路樹の葉が風に身をゆだねている
それなのに
人声のしない都市
人の歩いていない都市
四万五千の人びとがかくれんぼしている都市
鬼の私は捜しまわる
幼稚園のホールに投げ捨てられた玩具
台所のこんろにかけられたシチュー鍋
オフィスの机上のひろげたままの書類
ついさっきまで人がいた気配はどこにもあるのに
日がもう暮れる
鬼の私はとほうに暮れる
友だちがみんな神隠しにあってしまって
私は広場にひとり立ちつくす
デパートもホテルも
文化会館も学校も
集合住宅も
崩れはじめている
すべてはほろびへと向かう
人びとのいのちと
人びとがつくった都市と
ほろびをきそいあう
ストロンチウム九〇 半減期   二七.七年
セシウム一三七   半減期      三〇年
プルトニウム二三九 半減期 二四四〇〇年
セシウムの放射線量が八分の一に減るまでに九十年
致死量八倍のセシウムは九十年後も生きものを殺しつづける
人は百年後のことに自分の手を下せないということであれば
人がプルトニウムを扱うのは不遜というべきか
捨てられた幼稚園の広場を歩く
雑草に踏み入れる
雑草に付着していた核種が舞いあがったにちがいない
肺は核種のまじった空気をとりこんだにちがいない
神隠しの街は地上にいっそうふえるにちがいない
私たちの神隠しはきょうかもしれない
うしろで子どもの声がした気がする
ふりむいてもだれもいない
なにかが背筋をぞくっと襲う
広場にひとり立ちつくす

連詩「かなしみの土地」より

若松さんは50年前から福島県南相馬市(旧原町市)に住んでいて、高校の国語教師でした。自宅は地震の被害は少なかったのですが、原発事故で1ヶ月以上、福島市に避難していました。1971年に福島第一原発が完成する前から、若松さんは地元紙や詩人会の会報などで、原発の危険性について訴える文章を発表していました。「広島、長崎の原爆のことが頭にあったから、これは怪しいのではないか、事故が起きたら大きな被害をもたらすという思いがあったからだ」と。94年には、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故を見学する福島県民調査団に参加して、ウクライナを訪問されました。事故を起こした原子炉を見学して、コンクリートで覆った「石棺」の側まで行った時、放射線量計の針が振り切れたので、「自分の住む街と重ね合わせてショックを受けた」と。そして帰国後に発表したのが『神隠しされた街』です。

若松さんが、我々とは違う何か超能力のようなものを持っているとするのは間違いです。若松さんは「私は予言者ではまったくない。ただただ観察して、現実を読み解こうとしただけのこと」と説明しています。つまり、誰でも「観察し、現実を読み解き」さえすれば「予知可能」であったし、そういう幾多の現実が、18年前の福島第一原発ですでに無数に転がっていたということではないでしょうか?

問題は、それを「ありのまま」に見ようとしたのか?それとも眼をつぶってしまったのか?東京電力は、あちこちでガタが来て蒸気や悲鳴を上げる配管を、湯水のように湧き出す利権と勘違いしたのでしょうか?それとも、差し迫る事故の恐怖を「安全」の念仏ボルテージを上げることで目をつぶろうとしたのでしょうか?東京電力が未だに言い訳している「想定外」とは、「想定できなかった」ではなく「想定したくなかった」、すなわち「直視できない現実」が18年前に、すでに胸元まで迫っていたのだということを、若松さんはみごとに証明してくれました。

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