今から53年前の1959年6月30日にアメリカ占領下の沖縄の石川市(現・うるま市)でアメリカ空軍機が引き起こした墜落事故は、今またオスプレイの恐怖として甦ろうとしている。
(事故直後の宮森小学校の惨状) |
事故直後から軍警消の各部隊が事故現場に急行し救助活動に当たった。 被害者の治療のために沖縄本島中部在住医師のほとんどが駆けつけた。
事故による火災は1時間後に鎮火したが、 死者17人(小学生11人、一般住民6人)、 重軽傷者210人、 校舎3棟を始め民家27棟、公民館1棟が全焼、 校舎2棟と民家8棟が半焼する大惨事となった。
事故当時、学校には児童・教職員ら約1000人がいた。 当時は2時間目終了後のミルク給食の時間で、ほぼ全児童が校舎内にいた。 特に直撃を受けた2年生の教室の被害が最も大きく、 火だるまになった子供達は水飲み場まで走り、 そのまま次々と息絶えたと伝えられている。
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