2012年8月14日火曜日

伊方原発に米軍機が墜落した

フロリダで事故、ニューメキシコでも住民の反対で演習延期に続いて、ハワイの2空港でもオスプレイの訓練中止のニュースが。米軍はオスプレイの沖縄配備を強行しようとしているが、米国内から追い出された厄介者の受け皿(演習場)は、もはや沖縄と日本にしかないのが本音なのかも?

そこでフト「日本列島には貴方が売りつけた原発が54基もありますので」と、原発上空を飛ぶオスプレイを思った。

アメリカ本土では原発上空を航空機が飛ぶことは禁止されていて、原発周辺には地対空ミサイルまで配備されているらしいが、おそらく属国日本に対してはそんなことはお構いなしだろうと調べてみたら、事実そうだった。そればかりか、すでに米軍は日本の原発上空で演習を行っていて事故まで起こしていたのだ。

24年前の1988年6月25日に、伊方原発(愛媛県伊方町)直近で米軍普天間基地所属の海兵隊輸送ヘリコプター(オスプレイはこの後継機)が墜落した。瀬戸内海方面からきたヘリコプターが伊方原発を超え、原発のすぐ南側の山の斜面に激突、反動で山の反対側へ落下した。原発側に落下していたら大惨事は免れなかっただろう。原子炉を直撃しなくても送電線や電源施設にダメージを与えるだけでも大事故に直結することは、福島第一原発事故が証明済みである。

墜落した伊方原発周辺の山頂の標高150m前後というから、かなりの低空で演習飛行していた事がわかる。海兵隊の輸送ヘリの訓練内容は、わずかな平地に兵員を強襲上陸させるので、かなりの低空でないと訓練の意味がないというわけだ。民間機はもちろん自衛隊機がこの高度を飛んだら大問題になる。この原発の周辺ではこれまでに幾度となく米軍機が墜落もしくは不時着している。さらに「原発は上空から目立つので、訓練の標的にされやすい」という驚くべき証言まである。

まさに「米軍は日本を守ってくれる」のでなく、米軍が日本の国土を傍若無人に飛び回り、日本の国民を再び原発事故の恐怖にさらそうとする張本人であることが分かる。

2012年8月7日火曜日

息子の弁当箱

東日本大震災で亡くなった息子の弁当箱を発見した両親
 昨年4月、毎日新聞のニュースサイト「毎日jp」に、東日本大震災で亡くなった息子の弁当箱を、がれきの中から発見した両親の記事が掲載された。
 母親は弁当箱が空なのを確認し、「きれいに食べている」と嗚咽(おえつ)したという。まだ24歳の息子を突然亡くした失意のどん底でも、最後にちゃんとご飯が食べられたかどうかが気になり、空の弁当箱に安堵(あんど)する。その親心に胸が締め付けられ、17年前に取材したある弁当箱を巡る物語を思い出した。
 1945年8月6日に原子爆弾が投下された広島の惨状を伝える広島市の「広島平和記念資料館」(原爆資料館)に展示されている「滋君のお弁当箱」だ。
滋君のお弁当箱(広島原爆資料館保管)
 93年から94年にかけて、米国のスミソニアン協会航空宇宙博物館は、95年の太平洋戦争終戦50年に向けて、記念企画展の準備を進めていた。企画展は原爆の開発から投下までの経過を追うもので、スミソニアン博物館は広島市に原爆資料館が保管する被爆資料の貸し出しを依頼していた。広島に来て被爆資料を見学したスミソニアン博物館の担当者が、強く貸し出しを望んだのが「シゲルズ ランチボックス」(滋君のお弁当箱)だった。
 建物疎開に動員されていた旧制中学2年の折免(おりめん)滋君(当時13歳)は、爆心地から約500メートルの所で同級生らとともに被爆し、母親が作った弁当をおなかに抱えて死んだ。中身がきれいに詰まったまま真っ黒に炭化した弁当箱は、原爆資料館の中でも最もよく知られた展示品の一つだ。
 「滋君のお弁箱が海を渡る」とマスメディアは色めき立ち、当時、広島支局に勤務していた私も貸し出しが決まるのを待ち望んだ。しかし広島市は「被爆者が反対している」となかなか決断しない。反核運動でよくメディアに登場する人々の顔が浮かんだ。「いったい誰が反対しているのか」。原爆資料館に取材すると意外な答えが返ってきた。弁当箱を寄贈した滋君の母シゲコさん(当時86歳、故人)だったのだ。
 反対の理由を聞こうと自宅を訪れた私に、高齢で弱った体から言葉を絞り出すように語った。「育ち盛りの子どもが弁当も食べられんと殺された。あの弁当箱は私にとって滋そのもの。滋を敵国で見せ物にするのは止めてください」
 シゲコさんは原爆で焼け野原になった街を歩き回り、骨だけになった滋君を見つけた。息子だと分かったのは、骨の下の弁当箱に「折免」と書いてあったからだ。
 涙ながらに語るシゲコさんを見て、米国を「ピカを落とした国」と敵視する被爆者を、どこかで「時代遅れ」と思っていた自分を恥じた。息子を失った母親の無念をないがしろにして大博物館の企画に参画しても、それが「ヒロシマの心」と言えるはずがないとようやく気付いたのだ。
 94年1月、「記者の目」でこの話を書いたが、その中で書けなかったことがある。シゲコさんが大切な弁当箱を原爆資料館に寄贈した動機だ。てっきり核兵器廃絶を訴えるためだと思っていたが、もっと母親らしい素朴な感情からだった。
 シゲコさんは、弁当箱をずっと自宅の神棚に飾っていた。終戦後、世の中が豊かになるにつれ、近所の川には食べ物がたくさん捨てられるようになった。「もっと食べ物を大事にしてほしい。滋は粗末な弁当も食べられず死んだのに」との思いが募り、弁当箱を神棚から降ろして原爆資料館に託す気になったのだという。親が作ってくれた弁当を食べ、空になった弁当箱を持ち帰る。このささやかな日常がどれほど幸せなことなのか--。黒焦げの「滋君のお弁当箱」は、人々に伝える役割を与えられたのだ。
 原爆投下から66年後に起こった東日本大震災。原爆資料館のように、この未曽有の被害を伝える「震災資料館」ができたら、と願う。
 今、被災地では、破壊された建物や品々はがれきとして撤去や処分が進められている。被災から立ち直り、生活を取り戻す作業と同時に、この被害をどんな形で後世に伝えるのかについても検討できないだろうか。津波が押し寄せた跡が残る建物の壁や柱。押し流された大切な品々。この大震災を映像や写真、文字で記録することは大切だが、被災のつめ跡を刻む建造物や品々の「訴える力」は別格だ。
 地震の直後から「早く逃げて下さい」と防災無線で声を振り絞り、津波にのまれた宮城県南三陸町役場の若い女性職員がいた。無線放送設備のある3階建ての防災対策庁舎は激しく損壊し、まだ取り壊すのか保存するのか決まっていない。建物が残せなくても、彼女の声を流し続けたスピーカーだけでも被災資料として保存できないか。
 原爆資料館には戦後66年を経た今も、被爆者や遺族から品物の寄贈がある。東日本大震災でも、被災者が大事にとっておいた「思い出の品」を、後世に役立てたいと思った時、資料館はその受け皿にもなる。被災資料の保存は、犠牲になった人々の生きた証しを残すことでもある。「滋君のお弁当箱」のように、歳月や国境を超えて人々の心を揺さぶり続けるはずだ。

 ◇幻の原爆資料展

 広島の被爆資料は結局、終戦50年の年にスミソニアン博物館で展示されることはなかった。原爆投下に始まった冷戦下の核時代を検証する企画展は、米国内で議会や退役軍人団体の猛反発を招き、同博物館は計画を断念。批判を鎮静化させるため、博物館長が引責辞任した。
(毎日新聞 2011年6月3日)

2012年7月23日月曜日

孫崎さんの「ごもっとも」

(本日、孫崎享さんがTwitterに投稿されていた内容を再録させて頂きました)

■WBC問題:
自民党系よりメール「先週末、WBC不参加を選手会が決断と発表。運営のMLB=米国野球界がスポンサー料など参加各国が当然享受すべき権利を、自分たちの懐へ吸い上げる条件が改善されなかったから。それぞれの国が当然受け取るべきおカネを、なぜかMLBが80%以上取る。選手会は条件改善求めたがコミッショナー達は何の手も打たず、「日本3連覇かかってる。期待にこたえないといけない」「WBCの開催は野球の普及側面」等理由に、我国選手を護るどころか、我国プロ野球をバカにした、屈辱的な条件を呑んででも参加の方向で調整すべきだと。
TPP参加の政府のよう。どんな時も米国意向に沿うべしの連盟やコミッショナー達の姿に、まさに日米関係反映。希望は選手会。参加楽しみとしながらも、こんな条件では参加できないと。健全な自尊心と誇りあれば、屈辱的な条件を呑んでまで、米国の利益だけのために開催されるこんな茶番に参加はアホらしいと、至極当然の結論。アホなコミッショナーやマスコミはここでも「従米」。普天間やオスプレイ配備では分からない国民も、この日本プロ野球とMLBの関係には「おかしいな」と思う。
健全な自尊心あれば、「なんで屈辱を受けてまで協力必要」と思うだろ。陰惨ないじめ事件も、責任を取りたくない事無かれ主義者達、権力にへつらう卑怯者たち、見て見ぬふりをし、長いものに巻かれる者たちの正体が暴かれているように感じています。羊のように従順な日本国民も、多数ではなくても真実に目覚める人たちの数は、日ごと増えていると感じています。

 ■オスプレー:
23日読売「日米安全保障条約で、米軍が日本に配備する航空機の機種変更で、日本側には拒否する権限がない」そんなことない。頭働かせて下さい。普天間に関しては「沖縄住民の負担軽減」と言う日米合意がある。オスプレーは危険增大、日米合意に反すると言えばよい。交渉は頭使うのです

■日米同盟の在り方:
在日米軍基地の有り様は地位協定で決まっている。合意出来なければ動けないようになっている。しかし某氏の示唆。地位協定には第二十八条で「この協定は安全保障条約が有効である間有効とする」となっている。他方安保条約は第十条で「十年後は、相手国に条約終了を通告でき、通告後一年で終了する」となっている。 つまり、日本側は一度現行の安保条約を破棄通知をする。その時は地位協定も同時に破棄となる。
そこで新たに同じ内容でもいいから新安保条約を結ぶ。当然米軍駐留規定の地位協定は存在していないから、改めてどこに基地を置くかを交渉出来る.交渉がまとまらなければ米軍が日本に駐留出来ないことになる。地位協定だけで交渉しようとすると米軍がOK言わない限り変更できない。しかし安保条約の改定をはさむと今と立場が180度変わる。某氏、これが岸首相の功績だという。逆に米側岸氏の影響力をそぐ必要がある。

2012年7月21日土曜日

「お笑い米軍基地」

発信箱:「基地」を笑う=大治朋子(外信部)
毎日新聞 2012年07月17日 00時13分

 沖縄で大人気のコント「お笑い米軍基地」の公演を名護市内で見た。若手芸人たちが、基地問題を辛口の風刺で笑いに変える。

観客席が最も沸いたのは「尖閣諸島」ネタだった。玩具売り場で東京都知事と同じシンタロウという名前の男の子が「尖閣諸島」のおもちゃをママにせがむ。そこに中国人らしき男たちが現れ、「尖閣」を取ろうとする。警備員が、不審船を見つけた海上保安庁のように「君たち、出て行きなさーい」と叫ぶが、なかなか出て行かない。

そして上階に入店する「アメリカさん」の登場。迷彩服の男たちがハリセンで「シンタロウ」から「中国人」まで、全員をぶったたいてこう言う。「このデパートはぁ、アメリカーがいるからもってるんじゃないのかぁ」。米国産のビーフジャーキーを買えと全員に迫り、断るとまたたたく。店員がつぶやく。「早く出て行けばいいのによ」

 そう、「デパート」は沖縄で、「アメリカさん」は米軍基地だ。米軍がいるから沖縄は安全、という「定説」を皮肉っている。

笑いの底に見え隠れするのは深い怒りだ。東京で「売れない芸人」だった那覇市出身の小波津(こはつ)正光さん(37)がシリーズを思いついたきっかけは、04年夏の沖縄国際大への米軍ヘリ墜落事故だった。当時、本土はアテネ五輪に興じていた。「アテネで聖火が燃え上がっていたころ、沖縄ではヘリが燃え上がってた」。思わず口にしたネタが大うけしたという。

一昨年の公演もビデオで見たが、笑ったのは「缶首相」が米軍普天間飛行場の移設先をダーツで決めるネタ。的の大半は名護市「辺野古」と書かれ、「県外」の幅はとても狭い。沖縄県民が「けんがい、けんがい」と手拍子で応援するが、命中しない。

怒りを笑いで包む。沖縄の知恵とたくましさを見た思いがした。
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さっそく「お笑い米軍基地」のブログを拝見しましたら、そこにはあの「オスプレイ」が新ネタとして登場するらしく・・

説明では「今回舞台で使用する目玉小道具のオスプレイです。「お笑い米軍基地」舞台専属のセット職人・よっちゃんに今回も依頼しました。渾身の作品です。職人曰く、「これは墜落しないよ。俺の目の黒いうちは絶対墜落させない」。こう言っておりますが、コントをやる芸人達は本番中、墜落しないか心配しております。」とのこと・・早く基地がなくなり、ネタ切れする日が来ることを!

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この「お笑い米軍基地」とは関係ありませんが、圧制下のソ連でアネクドートと呼ばれる風刺小話が流行していたことを思い出しました。ひとつだけ紹介します。

赤の広場で、酔っ払いが、「ブレジネフはバカだ!」と叫んでいた。すぐにKGBがやって来て、酔っ払いを逮捕し、懲役22年を言い渡した。国家侮辱罪で2年、国家機密漏洩罪で20年・・

2012年7月11日水曜日

「勝手に飛び立つ(?)」オスプレイ


飛行機の事故には、パイロットの操縦ミスや機体の金属疲労などいろんな原因があるが、「勝手に離陸してしまった」などというのは初耳だ!ひょっとしたらオスプレイは、人類初の人口知能を備えた「画期的航空機」なのかもしれない(笑)!しかし、それが元で保有機数の加減計算さえ合わないのだから、やはり「想定外の欠陥機」と言わざるを得ない。

この事故機も「勝手に離陸した」のだろうか?
【琉球新報:2012年7月11日「社説」】
「墜落事故隠し オスプレイは飛ぶ資格なし」

この飛行機に果たして空を飛ぶ資格があるのだろうか。米軍普天間飛行場に配備予定の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイのことだ。2006年3月に米ノースカロライナ州で乗員が飛行準備中に突然離陸を始め、約9メートルの高さまで上昇後、地面に落下して機体の一部が損壊する事故が起きていた。
修理費は約706万8千ドルかかっており、損害200万ドル以上のクラスAに該当し、本来なら公表されるべき事故だ。しかし海兵隊は「機体は離陸するはずではなかった」との理由で公表から除外していた。「事故隠し」以外の何物でもない。
そもそも飛行させる意思がなかったのに、機体が勝手に離陸してしまう航空機など存在するのだろうか。こんな調子で「構造的な欠陥がない」などと言われて、誰が信じることができようか。
10年に起きたオスプレイ墜落事故をめぐり「機体に問題があった」との調査報告を空軍上層部が「人為的ミス」に改ざんするよう圧力を掛けていたことも分かっている。
米国防総省が今年4月と6月に起きた2件の墜落事故について「機体に問題はない」と強弁し、事態の収拾を図っているが、説得力のある根拠を示していない。
伝えられていなかった情報はほかにもある。06~11年に発生の損害200万ドル未満やけが人発生の未公表のBCクラスの事故が28件起きていた。公表のAクラスの事故2件と合わせれば30件に上る。それ以前の開発段階には4件の墜落事故を起こし、乗員30人が死亡している。配備されているはずの機体が40機も所在不明との市民団体の情報もある。一体どこに安全を見いだせばいいだろう。
今年発生した2件の墜落事故について森本敏防衛大臣はこれまで「機体が安全かどうか、見たことも乗ったこともないので、提供された情報以外に知識を持ち合わせていない」と、ひとごとのように説明している。
06年の未公表事故、BCクラスの事故件数、事故報告の「人為的ミス」との改ざん圧力の事実は琉球新報がさまざまな情報を基に報道して明らかにした。しかし日米両政府はいまだにこの事実の十分な説明をしておらず、無責任だ。日米は都合の悪い情報を隠しても無駄だ。事故を起こす可能性のあるオスプレイが沖縄の上空を飛行することなど許されないと悟るべきだ。

2012年7月10日火曜日

「数が合わない!」オスプレイ


オスプレイの事故は、表向き8件と報告されているが、どうやらそれも「氷山の一角」のようで、未報告の事故が山とありそうだ。09年までに、米海兵隊に納入された145機に対し、海兵隊は保有機数を105機と報告しており、この時点で実に40機ものオスプレイが所在不明になっている。

【琉球新報:米ワシントン9日=松堂秀樹本紙特派員】

米軍普天間飛行場に配備予定の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが、2006年3月に米東南部ノースカロライナ州で飛行準備中に突然上昇し、地面にたたきつけられていたことが分かった。
現地紙アマリロ・グローブニュースなどが報じていた。米雑誌ワイアードによると、修理費はクラスAの事故(200万ドル以上)に分類される約706万8千ドル(約8億2800万円=当時)かかったが、海兵隊は「機体は離陸するはずではなかった」との理由で事故に含めなかった。さらに、オスプレイの事故機を含む機体数をめぐり、09年の米議会の調査に海兵隊が回答を繰り返し拒否するなど、「事故隠し」の疑惑が生じている。
オスプレイは09年6月の米議会の調査で、それまで予算付けし海兵隊に納入されたはずの145機のうち、海兵隊へのヒアリングによる保有数を「105機」と記載。40機が所在不明になっており、過去の事故が隠ぺいされている疑いもある。
アマリロ紙などによると、事故は06年3月27日に海兵隊ニューリバー基地(ノースカロライナ州)で発生。3人の乗員が機内で飛行に向けた準備をしていたところ、機体が突然上昇、約9メートルの高さまで上がって地面にたたきつけられた。けが人はなかったが、右翼と右側のエンジンが損壊した。ワイアード誌によると、飛行予定がなかったとの理由で事故の統計から除外された。
米政府活動に関する市民団体サイト「AllGov.com」が09年7月に報じたところによると、海兵航空団トップのジョージ・トラウトマン中将(当時)は同年5月に海兵隊のオスプレイ保有数を「91機」と証言。だが、同中将はその1年前に100機目のオスプレイ取得を祝う式典に参加していた。
こうしたことから、事故機の数などに疑念を強めた米下院監視・政府改革委員会が追及を続け、09年6月に105機の保有を確認。だが、議会がこれまで予算化した機体数は155機で、同月までに145機が納入されているはずだった。同サイトは40機の所在不明について「オスプレイは常に軍にとって問題児のようだ」とやゆした。同委員会も各委員に当てた書簡で「オスプレイを何機保有しているかという単純な質問に対する回答を得るのに大きな困難にぶつかった」と不信感をあらわにしており、今後も保有数などをめぐって議論が続きそうだ。

2012年7月4日水曜日

これじゃ減らんわ!米兵犯罪


怖そうな兄チャンに車を傷付けられたけど、「来てください」との連絡で、交番に行ってみると、そこにはさらに怖い親分がいて・・言われるままに英語の「示談書」に署名したが、写しはナシ。それで一件落着?実は泣き寝入りの強要・・・それってどこの国の話し?法律は?と考え込んでしまうようなことが、沖縄県では毎日のように起こっているという。

米兵のひき逃げ死亡事故などの小さい記事に「日本政府は何してる?」って憤慨した記憶はあるが、何のことはない・・「本土復帰」後40年たっても、警察もマスコミもみんなグルになって、沖縄県民の犠牲にそっぽを向き、米兵の犯罪に手を貸していたのだった。これでは米兵の犯罪は減るはずがない。

まるで県民に刃物をちらつかせているとしか見えない日米両政府による「オスプレイ配備」も、これまで米兵犯罪=異民族による蛮行を黙認してきた警察・マスコミからすれば、とりたてて騒ぐほどのことではないのかも知れない。


【発信箱:報道されない「示談」】=大治朋子(外信部)毎日新聞 2012年07月03日 00時24分

沖縄に暮らして実感したのは、米兵らによる犯罪の多さだ。

沖縄県警が昨年1年間に摘発した米軍人・軍属らの刑法犯件数は42件。前年比で約4割減、過去10年で最少というが、それでも1カ月に3.5件、10日に1回のペースで起きている。

2006年横須賀市で起こった米兵の強盗殺人事件に抗議
例えば2月に起きた器物損壊事件。酒に酔った海兵隊員が、金武町の学校などに駐車されていた車11台を破壊した。

驚いたのは、その後の「示談交渉」。海兵隊の法務担当は被害者の学生らを交番に呼び出し、示談書へのサインを求めた。奥の部屋には警官がいたが、「何をしているのか確認しなかった」。学生らは交番だったので「警察の仲介だと思った」という。

「示談」のやり方もおかしかった。米軍の法務担当者は英語の示談書などを用意し署名させたが、それを学生らに渡さなかった。だから被害者たちは「サインはしたが、内容はよく思い出せない」。そんな理不尽が繰り返されてきた。

学校側は報道機関に一斉に情報提供したが、地元紙の琉球新報以外はほとんど報じなかった。たまたまニュースが多かったのか、あるいは人手不足だったのか。本紙はウェブサイトで新報の記事を転載した。

報道を受け、米軍側は今後交番を使わないこと、示談書を被害者にも渡すことを約束し謝罪した。警察も「交番を使用しないよう要請した」と記者発表した。それでも多くのメディアは、沈黙した。「沖縄ではありがちな話」と黙殺したのかもしれない。

米兵らの刑法犯については、身柄の引き渡しを制限する日米地位協定があり、問題視されている。民事の世界でも、いまだ米国統治下のような「不条理」がまかり通る。

それを告発するのがメディアの役割だと、改めて自覚したい。

2012年7月1日日曜日

オスプレイ。オバマを乗せて飛んでこい!


  原発もオスプレイも、消費税増税だってみなアメリカが日本に持ち込み、けしかけてきたもの。そのパシリが日本政府。

  「日本国首相」なら1年と持たないが、合衆国「日本州知事」として頑張ればオバマに褒めてもらえると知った野田は、民意を蹴散らし「主権在米」で突っ走っている。

  どうしても岩国・普天間にオスプレイを配備したいなら、まず「安全性」立証のために、オバマ大統領を乗せて飛んでこい。普天間への移動の時は、野田首相が同乗すればよい!話しはそれからだ!

オスプレイ強行なら「全基地を即時閉鎖」と沖縄県知事


「(説得に)自信がない」と弱音を漏らしていた防衛大臣。どんな気持ちで、沖縄行きに乗ったのだろうか?市民の「アメリカ言いなりの大臣は帰れ」の罵声を浴びながら、やっとのことで会談にこぎつけたものの、「説得」どころか、沖縄県知事からオスプレイ配備強行なら「全基地を即時閉鎖する」と逆襲され、火に油を注ぐ惨めな結果に終わった。
「アメリカ言いなりの大臣は帰れ」と抗議する宜野湾市民

【毎日新聞 7/1】来県中の森本敏防衛相は1日午前、県庁で仲井真弘多知事と面談し、米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイを米軍普天間飛行場に配備する米側の計画を説明した。仲井真知事は面談後、記者団に「配備を強行したら、全基地即時閉鎖という動きに行かざるを得ない」と強く日米両政府を非難した。

【朝日新聞 7/1】米新型輸送機オスプレイ配備を説明するため、森本敏防衛相が30日、沖縄県を訪れた。「アメリカ言いなりの大臣は帰れ!」。2週間前に反対の市民大会を開いたばかりの宜野湾市民は、厳しい言葉を浴びせた。
配備予定の普天間飛行場を抱える宜野湾市役所に、森本氏が着いたのは午後3時過ぎ。プラカードを手に集まった約70人の市民らは「宜野湾から出て行け」と、抗議を繰り返した。
普天間飛行場の飛行制限を求める「普天間爆音訴訟団」が呼びかけた。高橋年男事務局長は、市民大会の開催で「配備を再考してくれるのでは」と期待した。「でも、『事故は起こしたが大丈夫』という米側の説明をそのまま伝えに来ただけだ」と批判した。

2012年6月30日土曜日

53年前、小学校に米軍機が墜ちた


今から53年前の1959年6月30日にアメリカ占領下の沖縄の石川市(現・うるま市)でアメリカ空軍機が引き起こした墜落事故は、今またオスプレイの恐怖として甦ろうとしている。

(事故直後の宮森小学校の惨状)
1959年6月30日午前10時40分頃に、アメリカ空軍のノースアメリカンF100Dジェット戦闘機が操縦不能となり、パイロットは空中でパラシュート脱出し無事だったが、機体は民家35棟をなぎ倒した後、石川市にある宮森小学校(現うるま市立宮森小学校)のトタン屋根校舎に衝突、さらに隣のコンクリート校舎を直撃し、炎上した。

事故直後から軍警消の各部隊が事故現場に急行し救助活動に当たった。 被害者の治療のために沖縄本島中部在住医師のほとんどが駆けつけた。

事故による火災は1時間後に鎮火したが、 死者17人(小学生11人、一般住民6人)、 重軽傷者210人、 校舎3棟を始め民家27棟、公民館1棟が全焼、 校舎2棟と民家8棟が半焼する大惨事となった。

事故当時、学校には児童・教職員ら約1000人がいた。 当時は2時間目終了後のミルク給食の時間で、ほぼ全児童が校舎内にいた。 特に直撃を受けた2年生の教室の被害が最も大きく、 火だるまになった子供達は水飲み場まで走り、 そのまま次々と息絶えたと伝えられている。

2012年6月16日土曜日

東電の「想定外」と、詩人の観察力


「遅い」と叱られそうですが、心底びっくりしました。今朝の毎日新聞で知ったのですが、福島県南相馬市在住の詩人若松丈太郎さん(75)が1994年に発表した『神隠しされた街』と題する詩です。18年前に3.11を「予言」しています。

神隠しされた街   若松丈太郎


四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた
サッカーゲームが終わって競技場から立ち去ったのではない
人びとの暮らしがひとつの都市からそっくり消えたのだ
ラジオで避難警報があって
「三日分の食料を準備してください」
多くの人は三日たてば帰れると思って
ちいさな手提げ袋をもって
なかには仔猫だけを抱いた老婆も
入院加療中の病人も
千百台のバスに乗って
四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた
鬼ごっこする子どもたちの歓声が
隣人との垣根ごしのあいさつが
郵便配達夫の自転車のベル音が
ボルシチを煮るにおいが
家々の窓の夜のあかりが
人びとの暮らしが
地図のうえからプリピャチ市が消えた
チェルノブイリ事故発生四十時間後のことである
千百台のバスに乗って
プリピャチ市民が二時間のあいだにちりぢりに
近隣三村あわせて四万九千人が消えた
四万九千人といえば
私の住む原町市の人口にひとしい
さらに
原子力発電所中心半径三〇㎞ゾーンは危険地帯とされ
十一日目の五月六日から三日のあいだに九万二千人が
あわせて約十五万人
人びとは一〇〇㎞や一五〇㎞先の農村にちりぢりに消えた
半径三〇㎞ゾーンといえば
東京電力福島原子力発電所を中心に据えると
双葉町 大熊町
富岡町 楢葉町
浪江町 広野町
川内村 都路村 葛尾村
小高町 いわき市北部
そして私の住む原町市がふくまれる
こちらもあわせて約十五万人
私たちが消えるべき先はどこか
私たちはどこに姿を消せばいいのか
事故六年のちに避難命令が出た村さえもある
事故八年のちの旧プリピャチ市に
私たちは入った
亀裂がはいったペーヴメントの
亀裂をひろげて雑草がたけだけしい
ツバメが飛んでいる
ハトが胸をふくらませている
チョウが草花に羽をやすめている
ハエがおちつきなく動いている
蚊柱が回転している
街路樹の葉が風に身をゆだねている
それなのに
人声のしない都市
人の歩いていない都市
四万五千の人びとがかくれんぼしている都市
鬼の私は捜しまわる
幼稚園のホールに投げ捨てられた玩具
台所のこんろにかけられたシチュー鍋
オフィスの机上のひろげたままの書類
ついさっきまで人がいた気配はどこにもあるのに
日がもう暮れる
鬼の私はとほうに暮れる
友だちがみんな神隠しにあってしまって
私は広場にひとり立ちつくす
デパートもホテルも
文化会館も学校も
集合住宅も
崩れはじめている
すべてはほろびへと向かう
人びとのいのちと
人びとがつくった都市と
ほろびをきそいあう
ストロンチウム九〇 半減期   二七.七年
セシウム一三七   半減期      三〇年
プルトニウム二三九 半減期 二四四〇〇年
セシウムの放射線量が八分の一に減るまでに九十年
致死量八倍のセシウムは九十年後も生きものを殺しつづける
人は百年後のことに自分の手を下せないということであれば
人がプルトニウムを扱うのは不遜というべきか
捨てられた幼稚園の広場を歩く
雑草に踏み入れる
雑草に付着していた核種が舞いあがったにちがいない
肺は核種のまじった空気をとりこんだにちがいない
神隠しの街は地上にいっそうふえるにちがいない
私たちの神隠しはきょうかもしれない
うしろで子どもの声がした気がする
ふりむいてもだれもいない
なにかが背筋をぞくっと襲う
広場にひとり立ちつくす

連詩「かなしみの土地」より

若松さんは50年前から福島県南相馬市(旧原町市)に住んでいて、高校の国語教師でした。自宅は地震の被害は少なかったのですが、原発事故で1ヶ月以上、福島市に避難していました。1971年に福島第一原発が完成する前から、若松さんは地元紙や詩人会の会報などで、原発の危険性について訴える文章を発表していました。「広島、長崎の原爆のことが頭にあったから、これは怪しいのではないか、事故が起きたら大きな被害をもたらすという思いがあったからだ」と。94年には、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故を見学する福島県民調査団に参加して、ウクライナを訪問されました。事故を起こした原子炉を見学して、コンクリートで覆った「石棺」の側まで行った時、放射線量計の針が振り切れたので、「自分の住む街と重ね合わせてショックを受けた」と。そして帰国後に発表したのが『神隠しされた街』です。

若松さんが、我々とは違う何か超能力のようなものを持っているとするのは間違いです。若松さんは「私は予言者ではまったくない。ただただ観察して、現実を読み解こうとしただけのこと」と説明しています。つまり、誰でも「観察し、現実を読み解き」さえすれば「予知可能」であったし、そういう幾多の現実が、18年前の福島第一原発ですでに無数に転がっていたということではないでしょうか?

問題は、それを「ありのまま」に見ようとしたのか?それとも眼をつぶってしまったのか?東京電力は、あちこちでガタが来て蒸気や悲鳴を上げる配管を、湯水のように湧き出す利権と勘違いしたのでしょうか?それとも、差し迫る事故の恐怖を「安全」の念仏ボルテージを上げることで目をつぶろうとしたのでしょうか?東京電力が未だに言い訳している「想定外」とは、「想定できなかった」ではなく「想定したくなかった」、すなわち「直視できない現実」が18年前に、すでに胸元まで迫っていたのだということを、若松さんはみごとに証明してくれました。

「安全神話」・・原発の次はオスプレイか?


アメリカが日本に持ち込んでくる物には、ろくな物がない。その最たる物が原発で、あれほどの被害を日本にもたらしておきながら、アメリカはいまだに製造者・導入者としての責任を一切果たそうとしていない。そして今また、名だたる欠陥輸送機「オスプレイ」を、あろうことか「世界一危険な空港」を呼ばれている普天間基地に配備しようとしている。数日前も、事故を起こしておきながら、まだ「安全」とシラを切るあたりは原発の二番煎じだが、犠牲になるのは日本人であり、黙っているわけにはいかない。

■オスプレイの別名は「未亡人製造機」


アメリカ軍は、よほどこの種の兵器が欲しかったのだろう。ヘリコプターの垂直離着陸と固定翼機の速度・航続距離を合わせ持った機体である。オスプレイの起源は、第二次大戦直後の1940年代にさかのぼり、半世紀以上も研究、開発を重ね、何度かの事故を起こしては、生産中止となるが、また甦って2005年にやっとのことで配備にこぎ着けている。

オスプレイは、表面化している事故だけでも8回あり、試作段階から「未亡人製造機」と呼ばれていた。なんとか「名誉挽回」とばかりに、イラクで上院議員時代のオバマを搭乗させて芝居を打ったりしたが、その後も事故はいっこうに収まらない。当初、海兵隊要人輸送ヘリコプターの老朽化に伴い、後継機としてオスプレイが候補にも挙がったが、さすがに海兵隊幹部も自分たちの命が惜しくなったのか、はやばやと候補から除外してしまった経緯もある。逆に言えば、兵士や市民の命など二の次というわけである。このあたりは、原発を事故の影響が少ない過疎地にわざわざ持ってくるあたりに似ている。

そもそも飛行中に、垂直運動と水平運動を切り替えること自体、かなりの無理があることは素人目にも明らかなのだが、このオスプレイの場合は2つのエンジンが機体重心から離れているので、さらに安定性を欠いた機体となっており、機体そのものより構想・設計段階の欠陥と言わざるをえない。では、アメリカはなぜ、このような欠陥機を「安全」と決めつけ、普天間や岩国への配備をごり押ししようとするのか?

■「エアシーバトル」


砲弾の飛び交う前線に兵力を投下するオスプレイ(想像図)
それは、最近の報道でもあったように、全世界に展開しているアメリカ軍の6割をアジア方面に移動させ、「エア・シーバトル(空海戦略)」と呼ばれる拠点となる日本やフィリピン、オーストラリアなどの島々の基地と空母機動部隊によって力尽くで中国を封じ込めようとする戦略に基づいている。ここでは、過去の冷戦時代に、地続きのヨーロッパで採用されていた「エアランドバトル(空陸戦略)」と違って、太平洋上の海を隔てた拠点間を結ぶ兵力を如何に早く大量に運べるかが分かれ目となる。

そこで、遅い船舶輸送ではもなく、砲弾の飛び交う前線でも離着陸できる航続距離と速度を兼ね備えた輸送機=オスプレイが決定的な意味をもつ。そのことは、米軍が全世界に配備しようとしている458機のオスプレイの内訳をみれば一目瞭然である。海兵隊用が360機で約8割、特殊作戦軍向けの50機を合わせれば、実に9割近くが「即応戦力」用となっており、オスプレイが「エアシーバトル」の中核である海兵隊にとって、必要不可欠な兵器であることは間違いない。

■「対中封じ込め」で漁夫の利狙うアメリカ


アメリカ軍が、オスプレイを岩国や普天間の基地に配備する事自体、すでに日本を対中国の前線基地として利用することを宣言したに等しい。それだけでなく、自衛隊も司令室を在日米軍の横田基地内に移動させたり、「北朝鮮ミサイル騒ぎ」で兵力を沖縄方面に移動したり、民間の空港や港を米軍が自由に出入りできるようにするといったことが着々と行われている。

そうして、中国の鼻先に兵力を並べては、尖閣諸島問題のようにあちこちに火種を作っておいて、アジア人同士を戦わせ、アメリカ自身はといえばハワイや米本土あたりでじっくり「高みの見物」を決め込もうという魂胆なのである。二度の世界大戦でも、そうして漁夫の利を得てのし上がったアメリカに、三度も騙されて血を流すことはない。

2012年6月3日日曜日

タガが外れた東京電力


史上最悪の原発事故を起こして、数万の福島県民を叩き出した東京電力・・原発全停止まで行き着いて少しは懲りたのかと思ってたら・・大飯原発の再稼働で、また息を吹き返し、昔のようにタガが外れてしまったようだ。

今日も、何食わぬ顔で高速道路を核燃料輸送車が走っている
最近、東京電力は、東海村から柏崎刈羽原発に向けて、トラック輸送された核燃料輸送容器のフタが封印されていなかったことを、ぬけぬけと保安院に報告しているが、何万もの乗用車が走行する一般高速道路に放射性物質をバラ捲き汚染する行為に等しい。

福島原発の事故が明らかにしたように、全国の原発は、稼働開始から数十年を経過し、構造物の疲弊が日々安全性を低下させているが、それに負けず劣らず危険なのは、決められた作業手順があちこちで「手抜き」になっていることである。

その油断を裏付けているのが「原発安全神話」である。危険を前提に作業しないのだから、「これくらいなら」がどこまでも広がっていくのは当然だろう!いまからでも遅くはない!政府・電力会社は「原発危険宣言」を発して、「原発は安全」という国家的ペテンを振りまく言動を法律で取り締まれ!さもなければ第2の「3.11」が、駆け足で近づいてくるだろう。

(以下は、毎日新聞 2012年06月01日の記事より)

 東京電力は1日、柏崎刈羽原発(新潟県)へ茨城県東海村の核燃料メーカーから陸上輸送された核燃料輸送容器の一部に、封印がされていなかったことを見つけ、経済産業省原子力安全・保安院へ報告した。容器のふたは閉まっており、中の核燃料が取り出された形跡はないという。
 東電によると、核燃料は定期検査中の1号機用。陸上輸送された容器は計116箱(1基当たり燃料集合体2本収納)あり、30日に東海村の「原子燃料工業」を出発してその日に到着。1日午前に、東電作業員が1号機内で点検したところ、そのうちの1箱に封印がなかったという。封印には金属のワイヤが用いられており、ふたが開かない構造になっていた。原子炉等規制法は、運搬する核燃料への封印を義務付けており、保安院は、東電と原燃工に原因調査を指示した。【中西拓司】

なめたらアカンで!大阪のオバチャンを


どうも、大阪の主婦は「節電意識が薄い」らしい・・・

アジア太平洋研究所(大阪市、APIR)とやらが実施した専業主婦を対象にした節電アンケートによると、今夏も積極的に取り組むと回答した割合が、大阪の主婦全体の78・8%で、昨年10月調査から7・3ポイント下落したらしい。この一点だけをつかまえて、「節電=善」を振りかざしては「切迫感の薄さが浮き彫り」と、「大阪のオバチャン」に悪罵を投げ掛けている。これには、開いた口がふさがらんと言うか・・

日頃「大阪のオバチャン」は避けて通る(笑)私でも、ここは断固応援して拍手送るで~!「振り込め詐欺」に引っ掛からない率・全国一の「大阪のオバチャン」や!胡散臭い奴は蹴飛ばすんや!なにが「節電」やねん!電力会社はええかげんにせい!

そもそも「節電騒ぎ」のきっかけとなった、福島原発事故、それにつづく計画停電こそ、政府・東電の「切迫感の薄さ」が原因ではなかったのか?

関西電力に限ってみても、大飯原発再稼働では、1年前から分かっていた「原発全停止」を直前になって大慌てして、居丈高に「節電15%」を宣伝して回ったが、しょせん泥縄!政府・電力会社の「切迫感の薄さ」を大阪のオバチャンが「切迫感を持って」冷静に見て取って、「その手には乗らぬ」と腹を決めていると言うことではないのか?

それにしても、許せないのは橋下大阪市長。「原発反対」と言ったと思えば、大飯原発再稼働では「事実上の容認」へ転換?貴方の好きな「民間」でこんなエグい朝令暮改やったら、とっくに社長解任でっせ~!もっと切迫感をもって発言を!

2012年5月19日土曜日

頑張れ!大砂嵐


銃を片手に殿様面してふんぞり返って居座るヤンキーには腹が立つが、裸一貫で日本にやってきて土俵を舞台に活躍する大相撲の外国人力士たちには、思わず拍手を送りたくなる。大阪で開催中の大相撲春場所で、アフリカ大陸出身の力士・エジプトからやってきた大砂嵐(おおすなあらし)(20)が初めて土俵に立ち、序の口で優勝した。


大相撲を志したのはインターネットの投稿サイトで見た動画がきっかけで「負けても疲れても何もなかったように振る舞う、力士の強さにひかれた」とか。昨年8月に来日し、1年も経たないうちの優勝だった。ところが、イスラム教の戒律も「豚肉さえ食べなければ問題はない」と言うがちゃんこには苦戦。それでも1日5回の礼拝も「毎日欠かしていない」らしい。異文化に慣れることからして大きな壁があるのに、序の口とはいえ「国技」で頂点に立ったのだから、すごい。

やたら「外国人力士排斥」の風潮が強かった相撲協会も、足下見れば日本人力士の腐敗ぶりの腹いせにだったことに気付いたのか?よく分からないが、外国人力士の奮闘のお陰で「一年に6回もオリンピック」が観られていいのではないかと素朴に思う。

2012年5月12日土曜日

「世界で一番格好良い男」(ジョン・レノン評)


たしかに、あのポスターをみるだけでも、並の風貌ではない。そして革命家としての生涯も・・

チェ・ゲバラのことを少し書きたい。以前にどこかで、半世紀ほど前、ゲバラが来日時に、こっそり抜け出し夜行列車で広島を訪れたという話しを聞いたことがあった。カストロとともに「アメリカの裏庭」から蜂起し、革命を成功させ、それに飽き足りることなく「第二第三のベトナムを」と、南米諸国の山岳地帯で死ぬまで、ゲリラとして戦い続けたゲバラ。その彼が、アメリカの「非道の象徴」である「ヒロシマ」を一目見ておきたかったのだろうと思わせるような逸話ではあったが、どうやら広島行きは「お忍び」ではなく、「公式訪問」だったようである。

1959年7月15日、31歳のゲバラはキューバの使節団を引き連れて日本を訪れた。その年の1月1日に反米革命を成功させたばかりの彼らは、当時の日本政府・マスコミにとっても「厄介者」で、国民には余り知られたくない、知らせたくない「過激派」であったのだろう。『朝日新聞』が「カストロ・ヒゲ」と揶揄同然に報じたのみで、いわば報道管制下のお迎えだった。

それでも愛知県のトヨタ自動車工場、ソニーのトランジスタ研究所や映画撮影所、肥料工場、久保田鉄工堺工場では農業機械の製作を見学し、通商のために池田勇人通産相と会談も行っている。

7月24日大阪に泊まった際、広島が大阪から遠くない事を知ってゲバラは、翌日、予定を変更して駐日大使らを伴って全日空機で岩国空港に飛んだ。広島県庁職員案内の下、広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑に献花し、原爆資料館と原爆病院を訪れたほか、広島県庁を来訪し、当時の広島県知事だった大原博夫と会談した。そのいきさつは、当時の通訳であった広島県外事課の見口健蔵が、飛行機での公式の来訪を語っているほか、昭和47年の段階で広島県総務課には当時の記録も残っている。

いくら「過激派」といえども、使節団代表としてのゲバラが、受け入れ国の意向を無視し、無断で「掟破り」をやったとは考えにくい。夜行列車で抜け出したにもかかわらず広島で県庁職員が待っているのはどうみても不自然でもあり、どうやら側近の記憶違いもしくは脚色のようだ。だが、それがピタリと絵になるゲバラだからこそ、今日まで「伝説」として生き残っているのだろう。

ヒロシマ訪問時、ゲバラは記者に「なぜ日本人はアメリカに対して原爆投下の責任を問わないのか」と問うたと言う。ゲバラが帰国後、広島の状況をキューバに伝えて以来、同国では現在でも初等教育で広島と長崎への原爆投下をとりあげていると言う。

なお、娘のアレイダ・ゲバラさんも2008年5月に原爆死没者慰霊碑に訪れている。最近では、5月11日に、ゲバラの生涯を描いた映画で主演したデル・トロさんも、広島の原爆資料館などを訪問している。

2012年5月6日日曜日

ジュゴンを「絶滅」に追いやる者

国の特別天然記念物トキのひなが国内の自然界で36年ぶりに誕生したニュースで、細野環境相は記者会見でトキのひな誕生を喜びつつ、生物多様性について「非常に根源的な環境問題。文明国として大事にしたい」と述べた。

まあ喜ばしい話に水を差すつもりはないが、1年経っても未だに放射能を撒き散らしている福島第一原発を思うにつけ、政府高官の口から出る「環境、文明」との言葉が何と空虚で嘘っぽいことか!

環境省によると、国内の動物はこれまでに46種絶滅し、今も1002種がその危機にひんしている。環境省は種の保存法に基づき、そのうち人の活動の影響で生息が著しく脅かされている90種を「国内希少野生動植物種」に指定し、捕獲や売買、生息地の開発の禁止といった保護対策を講じていると言うが、年間予算がたった約4億円しかないため、トキやヤンバルクイナ、イリオモテヤマネコ、アマミノクロウサギなどを除く約半数については「限られた予算で、増殖が見込めない」として計画すら立てられていない。1機約190億円の次期主力戦闘機F35を1機減らすだけで、何種類の動物が絶滅から救われることか?

戦闘機は墜落しても金さえ出せばまた補充できる。しかし「目先の金儲け」からすれば邪魔にしかならないような、絶滅を危惧されている動物にせよ、歴史的文化的遺産などは、いちど消えてしまえば二度と甦ることはない。その価値を認め保護することが「文明国」としての出発点ではないのだろうか?

沖縄県・尖閣諸島の魚釣島に生息するセンカクモグラは歯が38本で日本本土で生息しているモグラより4本少ないのが特徴。79年に1匹捕獲されて以来、生存が確認されていないが、保護対策は取られていない。中国・台湾との領有権問題で上陸すら困難だからだ。

沖縄県名護市辺野古の沖合に生息するジュゴンにいたっては、国際自然保護連合(IUCN)が日米両政府に再三保護を求めているのに、指定していない。普天間移設計画の下心があるからだ。

他国との争いや基地増強の犠牲は、ジュゴンやセンカクモグラばかりではない。いや、むしろ沖縄・福島県民の犠牲だけではおぼつかなくなり、増税・軍備増強・原発再稼働で、もっと多くの日本国民を「絶滅危惧」の瀬戸際に追いやろうとする「非文明国」の政治の象徴なのかも知れない。

(毎日新聞 2012年05月06日の記事を参考にさせて頂きました)

5/5原発全停止に際して思うこと


「あのとき中国から手を引いてれば」→歴史にIFは禁物だが、その後の対米戦争、原爆投下の末の敗戦といった悲惨な結末から考えれば、国家・民族の重大な岐路での不決断、あるいは選択の過ちと思わざるを得ない。

 どうみても中国戦線は「泥沼」だったのに、収拾のチャンスはいくらでもあったのに関東軍や満鉄といった、植民地経営で甘い汁を吸ってきた「中国ムラ」の抵抗に屈して、あるいは「まだ行ける」の甘言に乗せられて、最後のとどめが刺せなかったからだろう。

 いまは「原発全停止」を喜んでいる場合ではない。放射性廃棄物は列島に山と積まれている。「原発ムラ」は生き残り再起を伺っている。再稼働を許さず一刻も早い全廃炉に向けて

・・子孫から「あのとき原発から手を引いてれば」と後ろ指指されないためにも・・

次期主力戦闘機F35は一機190億円


アメリカが日本の次期主力戦闘機として売りつけようとしているF35が42機で8010億円、1機190億円もすることが明らかになった。

これまで航空自衛隊の主力戦闘機はすべて米国製だったが、ノックダウンとして、三菱など日本の企業が生産・修理を請け負ってきたのだが、今回はそれもなし。しかも量産開始が7年後。これでは中国やロシアの戦闘機開発に追い越されてるやろな!

ちなみに飛行機のお値段といえば・・F-15=120億円/F-22=250億円/ボーイング747-400=200億円/A380=224億円

日本国民の血税は、ごっそりロッキードがかっさらい、米空軍が航空自衛隊を指揮して日本人パイロットにアジア人を攻撃せよと命令できる。アメリカにとっては、アメリカ人が乗らない「無人戦闘機」(アメリカ人が戦闘で死ぬことはない!)だし、犠牲が増えれば増えるほど注文も増えると言うもの。

アメリカにとって、こんな美味しい話はないぞ!と思ってたら、オーストラリア政府は、国家財政が赤字なので予定していたF35戦闘機の調達を2年延期することを決定したらしい。ごもっとも!

野田首相は、「対米貢ぎ浪費癖」を改め、高価なうえに納期も守れず「ええとこなし」のF35の調達を破棄しなさい!

尖閣諸島の2/5は米軍のもの?


新年度になって早一ヶ月・・転勤、引っ越しなどで慌ただしかった時期もようやく落ち着いたようだが・・チラシで「あっ!これいい!」と思った物件が、実際に不動産屋の案内で現地に行ってみると、大違いだったなどという経験をされた方も多いのでは?

まあ、これなら「危うく騙されるとこだった」で済ますこともできる。でも、気に入って契約した家・土地が、実は無関係の他人の所有物だったなれば、明らかな犯罪になる。

石原東京都知事が、先日ワシントンで「尖閣列島購入」をぶちあげ、いつものようにマスコミは大騒ぎした。誰もが「また下心見え見えのパフォーマンスだな」と思った。そんなに尖閣の土地が欲しいなら私財で買ったらいいのだし、なにも自らの「憂国の志士」道楽のために都民の血税を使うべきではない。

そんなに土地が欲しいなら、遠くの尖閣列島より、長い間都庁の知事室を照らし続けてくれたせめてもの償い(弔い?)に、買い手も付かない福島第一原発用地を買い取るのが「英雄的行為」というものではないのだろうか?どうしてもというなら、ついでに知事も辞めて電気もない島の自給自足生活で中国漁船を監視してなさい。死ぬまで星条旗と日の丸を離しなさんなよ!これなら都民も国民も大喜びのはず!

それから・・「領土、主権」と言うなら、自らも知事選公約で掲げた横田基地と首都圏上空をアメリカに返還してもらってからにしなさい。せっかくワシントンまで行ったのに、肝心のことは一言も言わず、それどころかワシントン高官に気に入られるためのパフォーマンスとしてしか思えないのですが?

ここんとこ、経済で中国に押されっぱなしのアメリカは、「尖閣諸島」だけでなくフィリピンやベトナムを「領土問題」でそそのかしたりして、西太平洋での中国の進出を武力で食い止めよう、それも自分は後ろに下がっておいて、各国の軍事力を中国に仕向けようと躍起になっている。つまり、自費で「尖閣」を購入しては何もならないので、都民を巻き込んで、都民の金で、中国に喧嘩を売ろうという魂胆なのだ。

と、まあここまでは、いつものように「腹立ち」が先行したのですが・・

とんでもない、事実が出てきた!

なんと、騒ぎのまっただ中の尖閣諸島の5つの島のうち2つ(久場島、大正島)が在日米軍の射爆演習場で、その契約が今年で切れると言うのだ。

防衛省が発行する「在日米軍区域一覧表」によると、「米海軍訓練区域」として以下のように記載されている。
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3.黄尾嶼射爆撃場(尖閣諸島)
区  域 :水域 久場島(概位25-56N 123-41E)の陸岸の前面100m以内の区域
空域 久場島の陸岸から 100mの線で囲まれる区域
訓練の種類:空対地射爆撃訓練
訓練時間 :原則として0700~1700
高度制限 :1,216m以下
制限事項 :水域は、使用期間中漁業及び立ち入りを禁止する。
備  考 :水域を使用する際は予告される。


4.赤尾嶼射爆撃場(尖閣諸島)
区  域 :25-54-14.4N 124-33-53.9E の地点を中心とする半径5海里の円内区域
訓練の種類:艦砲射撃、艦対地射撃及び空対地射爆撃訓練
高度制限 :1,216m以下
制限事項 :本区域は、使用期間中漁業及び立ち入りを禁止する。
備  考 :本区域を使用する際は予告される。
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この海域通りなら、一昨年の海上保安庁による中国漁船拿捕も、日本ではなく米軍の所有する海域で行われたことになり、「領海侵犯」すら成り立たないことになる。そのあたりのことを、石原氏もちゃんと押さえていたらしく、今回の発言では「久場島」はこっそり「購入対象」から外していたとか?

「日本固有の領土」だったはずの尖閣諸島の2/5が、実はアメリカのものだったという落語顔負けのオチが付いていたのだった。まだこの件については石原氏もマスコミも、一言も言わないが・・
中国に喧嘩売るより、まずはアメリカから両島を返還してもらって、「主権問題」をすっきりさせることが「愛国者の務め」ではないのだろうか?

関連サイト:http://kunini922.iza.ne.jp/blog/entry/1529679/

2012年4月23日月曜日

海が返したサッカーボール


東日本大震災の被災地から流出したサッカーボールが、米アラスカ州の島に漂着した。持ち主の高校生も見つかった。

津波は、無数のかけがえない命と思いを容赦なく飲み込み奪い去ったが、まるで恥じらい償うかのように、1年かけて5000キロ先まで運んで甦らせた。

たったひとつではあるが・・海は何を語りかけたいのだろうか?

「普天間」で、足下見られた「尖閣コール」の本気度


■傀儡国家に「領有権」を主張する権利はない。

かつての日本の傀儡・満州国が、中国との国境線領土の「領有権」を主張したとしても、だれも相手にしないだろう。もともと、自国すら「領有」していない、しようとしない政府が、なぜ他国に「領有権」を主張できるのかと言うわけだ。ある国の奴隷は、「虎の威をかる」ことはできても他国に主人顔はできないのである。国際社会の道義や正当性の欠片もないからだ。この笑い話のようなことが、現在の日本から「センカク・コール」として起こっているが、一方の当事者・中国からは「満州国の二番煎じか?」ととっくに足下を見透かされているのである。

■「尖閣領有権」を曖昧にするアメリカ

尖閣諸島は政府の「対中国弱腰」が問題という。そんな中国は、自国領土に基地を据え付けられた日本はご主人様=アメリカの承認無しには何一つ動けないことを知っている。アメリカが、日本を中国にけしかけるために、あえて尖閣諸島の領有権を曖昧にしていることもよく知っている。そのうえで、英雄船長などいろいろとちょっかいを出しては、日本の愚かさとアメリカの我慢どころを探っているに過ぎない。

■政府の「対米弱腰」こそ問題

一昨年、鳩山政府が「普天間国外移設」に失敗した直後に、日本の「対米弱腰」を見抜いた中国が尖閣に漁船を侵入させたことは象徴的である。「日本を守る」と言われてきたアメリカが一機の戦闘機も飛ばさなかったこと、いったん逮捕した「英雄船長」をクリントン国務長官の「釈放命令」で帰国させたことも、逆に中国を勇気づけた。ロシアとの北方領土、韓国との竹島問題しかり、もともと日本が自国領土である普天間基地ひとつ動かせない「対米弱腰」だから、周辺国に嘗められ前へ進めないだけなのだ。

日本が、周辺国に笑いものにされず、せめて真剣な話し合いまで行かせたいなら、つまり本気で「領有権」を主張したいのなら、まずアメリカに「基地を返せ」と言って、せめて「普天間国外移設」を実現させて「領有権本気度」をアピールするのが・・いっけん「風が吹けば桶屋が儲かる」話のようだが(笑)、案外一番の近道ではないだろうか?

嘘つき「日本共産党」は嫌いだ!


■「領土問題」はいつも戦争の火種

「領土問題」は、世界や日本の歴史を少しでも学んだ人にとっては、慎重の上にも慎重を重ねなければならないことは明らかである。古今東西の歴史の中には「領土問題」が軍事衝突から戦争に発展した事例は無数にある。「領土問題」を取り上げるなら「戦争を覚悟してから」と言っても言い過ぎではない。

■石原都知事は、都民そっちのけで「センカク」

最近、石原都知事らが「尖閣諸島を購入」などと騒ぎ回っている。以前も都民そっちのけの「オリンピック誘致」失敗で大恥をかいた知事は、東京都の「直下型大地震」対策が急がれている最中に、都民や都政そっちのけの「憂国ごっこ」でまぜかえそうとしている。「領有権」に目覚めたなら、南西の離島に手を出すより、自分達が70年近くも手を触れることさえできないでいるアメリカに占領された横田基地や首都圏上空の現実を解決する方が先ではないか?

こうした、中国と戦うポーズをアピールしてご主人様(アメリカ)に取り入ろうとする下心見え見えの連中はまだわかりやすく、くれぐれも悪意ある政治家のデマには乗らないよう注意してかかろう。ところがやっかいなのは、あたかも自分たちが最後の審判者であるがごとく「真理・正義・科学」を振りかざして、すまし顔で嘘をつき、実際には石原都知事の上をいく「戦争挑発」を仕掛けている連中である。

■「日本共産党」も、綱領そっちのけで「センカク」

それが、先の戦争で「獄中17年」とか「反戦」の化身であるかのように言われている「日本共産党」と言えば、たいていの方は驚かれるかも知れない。しかし、最近では訪米も果たしどの党よりも「オバマ追っかけ」に熱心な志位委員長が、「中国封じ込め」を叫ぶオバマ大統領の気分にまで染まり、「ぞっこんオバマ」になってきたことは間違いない。いわく「尖閣列島は日本固有の領土」「日本政府は堂々とその大義を主張すべき」とか、「尖閣諸島付近の日本の領海で、中国など外国漁船の違法な操業を海上保安庁が取り締まるのは、当然です。」と、自衛隊の出動も「当然」といわんばかりである。

彼ら(日本共産党)の綱領(2004/1/17)を見てみよう。ここでは「わが国は、高度に発達した資本主義国でありながら、国土や軍事などの重要な部分をアメリカに握られた事実上の従属国となっている。・・アメリカの対日支配は、明らかに、アメリカの世界戦略とアメリカ独占資本主義の利益のために、日本の主権と独立を踏みにじる帝国主義的な性格のものである。」ともっともらしい事を述べている。では聞くが、「主権と独立を踏みにじられた」「従属国」の「領土」とは、いったい誰のものなのか?一見日本は隅々まで日本の主権が及んでいるように見えるが、領土に限ったところで横須賀や岩国、沖縄にある多数の治外法権の基地があり、アメリカは「主権侵害」されないようにポイントとなる首都圏に、横田基地を置き、首都上空は「立ち入り禁止」としたうえで、横須賀には原子力空母を配置している。

■「オバマ追っかけ」の末路

「尖閣諸島」に限って言えば、そもそも「ご主人様」のアメリカが、日中間に火種を残しておくために「尖閣諸島」の帰属問題を曖昧にしてきたことに根本問題があり、そのブラブラにイライラが募っているからこそ、競って派手な「オバマ追っかけ」のパフォーマンスを演じているのは彼ら自身が一番よく知っているはずだ。ここでは、1937年、日本の傀儡だった旧満州国政府が、盧溝橋での「挑発」を口実に関東軍と肩を並べて「満州国軍」の名で中国に侵入していった皇帝・溥儀の恥ずべき歴史をもう一度思い起こそう。

日本共産党が、「日本の政府代表は、国連その他国際政治の舞台で、しばしばアメリカ政府の代弁者の役割を果たしている」と自ら語っている、その日本政府や石原都知事と声を合わせて「尖閣を守れ」を叫び、アメリカ政府の代弁どころか「戦争挑発」の先頭に立つというなら、「反戦闘士」という最後のイチジクの葉っぱまで消え去るであろう。